ハッスル通信

祝・デビュー30周年! 8・27『やってやるって』
越中詩郎インタビュー(前編)

2009年8月20日

8・27『越中詩郎デビュー30周年記念 ハッスル外伝“やってやるって!!”』(後楽園ホール)の開催まで、あと1週間! 全対戦カードも決定し、記念大会に向けてやる気満々の越中詩郎に、われわれハッスルオフィシャル取材班は直撃インタビューを敢行! 激動の30年間を振り返りながら、記念大会に向けての熱い意気込みを語ってもらったぞ! 越中の叫びをしっかり受け止めろって!!


■「常に“俺はプロレスラーだ”っていう自覚を持って、30年やってきたからね」

――越中さん、デビュー30周年おめでとうございます! ひとえに“30年”と言っても、いろいろな思いがあると思うのですが、振り返ってみていかがですか?
越中 もう一言で言うなら、“あっという間”だよな。で、一番苦しかったのは、全日本プロレスに入門して(1978年)からの何ヶ月間だったんだけど、それが今でも昨日のことのように思い出すよ。その当時、俺の上にいたのが大仁田厚、渕正信、ハル園田(当時は園田一治)のいわゆる“若手三羽烏”で、俺とはキャリアが5年ぐらい違ってたんだよね。で、後輩がしばらく入ってこなかったからさ、俺中心で練習が回るわけよ。

――つまり、しごきの対象が越中さんひとりだったということですね。
越中 ある程度、上のキャリアになるとそれぞれの調整方法があるから、各自でトレーニングするんだけど、俺の場合は、「お前、上がって来い!」っていう感じで、基礎トレーニング、受け身、スパーリングをやらされるわけよ。だから、次の日の朝なんか、目が覚めて「さあ、練習に行かなきゃ!」って思って起き上がろうとしても、全身が痛くて起きれないんだよね。受身を相当取るから身体が全身打撲になるしさ、ロープワークでわき腹が内出血して真っ黒になるしで、身体中が筋肉痛や打撲だらけなんだよな。

――練習は何時からスタートだったんですか?
越中 朝10時から練習なんだけど、正式に入門する前は自宅から通わされてたからね。朝8時に起きて、8時半には家を出て、自転車で40分ぐらいかけて道場に通ってたわけよ。で、道場に着いたら掃除して、先輩が来るのを待ってたんだよな。

――越中さんは、1979年3月5日、千葉・館山市民センターにて、園田一治戦でデビューするわけですが、しばらくの間は先輩と当たる日が続いたということですよね。
越中 下がなかなか入って来なかったからね。だから、俺の下って言うと、後藤(=ターザン後藤、当時は後藤政二)が俺の2年下になるのかな。そして、三沢(光晴)が入って来る頃になると道場もにぎやかになってきてさ、冬木(弘道)や菅原(伸義、のちのアポロ菅原)が国際プロレスから来て、川田(利明)も入って来たんだよな。

――そして、今、名前が挙がった選手たちが出場したルー・テーズ杯争奪リーグ戦(1984年)で、越中さんが決勝戦で三沢さんを下して優勝。翌年には、三沢さんと共にメキシコ武者修行に旅立ったと。
越中 まあ、あの頃の俺は、メキシコでもそうだったけど、その時代に輝いていた数多くのプロレスラーたちを間近で見て、いろんなプロレスを見てるわけよ。例えば、アメリカなんかさ、いろんなテリトリーが存在していて、そこでダメだったらまた次に移る、そこでもダメだったらまた次に移るって感じでテリトリーを回って行くと。メキシコも同じで、自分のポジションが落とされて働き場所を失ったら、そこを出て行って自分の力で探して行かなければいけなかったんだよな。

――初めからお膳立てされているわけではなく、己の力で成り上がってポジションを築いていくということですね。
越中 俺はそういうのを見てるからさ。だから、必要とされなくなったら他に売り込みに行かないといけないし、他からお呼びがかかるには、技術も体調も全部整えて、「俺を買ってくれ!」っていうのがプロレスラーだと思うんだよな。だから、俺もいろんなところを渡り歩いてるけど、常に「俺はプロレスラーだ」っていう自覚を持って、30年やってきたからね。


■「ツライと思ったことはあっても、下を見たことはないよ」

――それでも、やはり30年もやっていれば、どこかでツライと思ったりすることもあったのでは?
越中 それはいっぱいあるよ。だって、人間だからね。良いときよりも、悪いときのほうが覚えてることも多いしさ。でも、ファンはそういうところも見続けてくれていると思うんだよね。もちろん、試合の中身が一番大事だよ。だけど、ファンはさ、自分が応援している選手が落ちていったり、ケガをしたりしたときに、その選手がどうやって人間離れした立ち直り方をするか、そういうところも見てくれているような気がするんだよね。だから、俺は、ツライと思ったことはあっても、下を見たことはないよ。でもまあ、俺もケガは多かったよな。

――ちなみに、越中さんはこの30年間で、どんなケガをされましたか?
越中 いっぱいありすぎて挙げたらキリがないけど、大きいケガだったら腓骨骨折とか、あとは足首の靭帯を3本損傷したときかな。まず、ワイヤーを入れて靭帯を止めて、その後にボルトを入れてさ、3回手術したからね。結局、1年間プロレスができなかったんだけど。でもね、入院して2日目に、若い奴に「バーベル持って来い!」って言って、病室で練習してたからな。まあ、看護婦さんはビックリしてたけどさ(笑)。

――それはプロレスラーとしての意地みたいなものも?
越中 やっぱり、ケガをして入院したときに、「もう、越中はできないんじゃないか?」っていう嫌な噂っていうかさ、そういう話が耳に入って来て、自分の中で気持ちを繋ぎ止めておくためにもっていうのはあったよな。

――復帰しても、自分のポジションが残ってるかもわからないですしね。
越中 まあ、あの頃はとにかく選手層が厚かったからさ。だから、それも振り返ってみれば、俺は30年間に渡ってすべての選手に刺激を受けてきたし、「負けてたまるか!」っていう気持ちでやってきたからね。周りの選手にも恵まれてたし、スタッフの人にもね。今回もこういう形で30周年を迎えることができて、今はもう感謝の気持ちだけですよ。

――越中さんの中で、30年間続けることができた秘訣とは、なんだと思いますか?
越中 やっぱり、全日本に入門しようと、血のにじむような日々を何ヶ月間にも渡って歯を食いしばってやってきた、あのときの気持ちがあったからだと思うんだよな。あれがあったからこそ、今の自分があると思ってるしさ。あとは、昔、年間で200試合以上とかっていうのを何年か経験してるんだよね。シリーズだって、5週間も回ってたんだからな。

――それこそ日本全国を隈無く回られてたんですよね。
越中 しかも、移動日なんていうのはほとんどないし、シリーズが終われば、その間に海外遠征もあったりしたわけでさ。これなんか、今の選手にしてみれば考えられないことだろ? 自分でも、今になって思えば、「どうやってこなすことができたんだ?」って疑問に思うもんな(笑)。それでもさ、G1とか、長いシリーズが終わった翌日、昼ぐらいに起きて道場に行くわけよ。そうすると、みんなクタクタになってるから、誰も道場に来て練習なんかしないだろ? そういうところで、「みんな大したことないな」って思いながら、優越感に浸るのがいいんだよな(笑)。

――それも、先程おしゃられていた「負けてたまるか!」っていうことなのかもしれませんね。
越中 まあ、俺もそういう変なところで意地を張ってたから、長くできたっていうのはあるかもしれないよな。こういう丈夫なカラダに産んで、育ててくれた両親にもホント感謝してるよ。【後編につづく】

※怒濤の後編は、8/21(金)にアップします! ご期待ください!!


▼8・27『越中詩郎デビュー30周年記念 ハッスル外伝“やってやるって!!”』(後楽園ホール)決定対戦カード


【第1やってやるって】
ハッスル仮面イエロー&KG
vs
大原はじめ&ザ・℃


【第2やってやるって】
坂田亘&小路晃
vs
大森隆男&安生洋二


【セミやってやるって】
平成維震軍選抜 X
vs
RG


【メインやってやるって】
越中詩郎&永田裕志&獣神サンダー・ライガー
vs
天龍源一郎&川田利明&TAJIRI

関連人物:越中詩郎
関連大会:越中詩郎デビュー30周年記念 ハッスル外伝“やってやるって!!”
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