ここがダメだよ!『ハッスル』・第二回
別冊ゴングプロデューサー、
吉川義治氏インタビュー(前編)
2007年2月15日昨年11月23日、ハッスル3年間の集大成である『ハッスル・マニア2006』が開催され、ファイティング・オペラの第一幕が閉幕、2007年のハッスルは新章に突入する。これからのハッスルはどう変わっていくべきなのか? ハッスル・オフィシャルサイト取材班が、別冊ゴング・吉川義治プロデューサーにインタビュー、ぶっちゃけハッスルってどーよ、と根掘り葉掘り聞いてみた。
――まずは賛否両論あった『ハッスル・マニア2006』(2006.11.23)から振り返ってもらいたいのですが、どういった感想をお持ちですか?
率直な印象で言わせてもらうと、前年度の『ハッスル・マニア2005』(2005.11.3)が非常に良かっただけに、それと比べると客入りと内容含めてちょっと寂しい気はしましたね。
――どういったところが寂しいと感じられましたか?
客に関しては若干厚みがなかったですよね。あと内容の面では、メインでは締まりが悪かった気はします。「試合で見せる」というコンセプトの部分で、今ままではレスラーがこだわっていたと思うんですよ。芸能人が上がって芸能人ばかり目立つ中で、プロレスラーの力量が問われるステージでした。メインのザ・エスペランサーVS HGに関しては従来のプロレスの攻防が全くなかったので、みんなキョトンとした感じでした。食いつきが悪かったですよね。そのままメインが終わって小川さんが出てきてマイクで締めても、客が付いてこなかったなと。小川さんはその段階で客に支持されているわけでもないですし、なんか寂しい感じでしたよね〜。
――今までのプロレスの試合ではなかったような、舞台装置が壊されたりするような展開もありました。
ロックアップの体勢から入るプロレスの基本の攻防がHGとザ・エスペランサーにはなかったじゃないですか。でもそれがハッスルの壮大な仕掛けであって挑戦なんだろうなと思いますよ。“ファイティング・オペラ”という名前の通り、そのドラマ性とストーリー展開を重視した攻防だったんだなと。いきなりレーザービターンが出たりする流れを受け入れろ、というのはなかなか難しい気はしますね。アメリカのプロレスを見ている人たちに言わせれば、ああいうのはWWEに良く取り込まれている部分はありますから。
――以前アメリカのWWEでは、レスラーが大技を出したときにリングが壊れる仕掛けもありました。
壮大な仕掛けの部分でみれば、ハッスルでは老若男女のファンを取り入れる部分で、わかりやすさを求めようとしますからあれはOKですよ。コアなプロレスファンは?マークが付いたかもしれないですけどね。全く新規のプロレスファンからしてみればあれは面白い部分なのかもしれないですよね。いい意味でのアンチテーゼ(全く新しい段階として現れた状態)になったんじゃないかと思いますよ。
――『ハッスル・マニア2005』を100点とするなら、『ハッスル・マニア2006』は何点になりますか?
僕の中では半分の50点になりますね。前年度は和泉流二十世宗家・和泉元彌さんが出ました。わかりやすさを追求していて面白かったです。馬鹿げていることを徹底している。馬鹿げているから本当に馬鹿げようというスタイルでもあった。わかりやすさを追求したスタイルも兼ねていました。見ていて楽しかったですよ。
――大会当日はプレスルームで見ていたのですか?
マスコミ席というよりも客席からずっと見ていました。プレスルームにいるとどうしてもわからなくなることがあるんです。画面を見ていただけでは客の反応がわからないから、大きな大会だと客席から見ているようにしています。客席を見ていると、手を叩いてガハガハ笑っている人がいましたからね。それを考えると、今回の(ハッスル・)マニアは違った仕掛けをした意味で満足度が低かったなと思います。ただ前年度と同じ仕掛けをするのではなく、次へのステップだと捉えるのであればマイナス点を引いてもいつかは跳ね返ってくるものだと思いますね。
――3年間の集大成というのが『ハッスル・マニア2006』だったわけですが、そうでなかったという意見もありました。
そうですね〜。集大成という意味よりも新たな挑戦への第一歩だったのでは。そこで句読点の句点で止めるのではなく、まだ読点の形じゃないですか。
――ハッピーエンドで終わるのがハッスルですが、小川選手がああいう形で締めたために後味は悪かったですよね。
そういうのもあっていいんじゃないですか? これまで「ハッスル・ハウス」や地方大会も含めていい意味で和気あいあいで楽しく終われるというのがハッスルでしたけど、それが全部そうなることはありえないですから。
――こういう終わり方もありだったと?
ありですよね。ザ・エスペランサーがいたらハッピーエンドで終われるわけがないじゃないですか。難解な人間なのか、よくわからない人種がいるんですから。
――小川選手でなく、高田総統が締めても後味は悪かったと思いますか?
あれは誰がやっても同じじゃないですか? HGも凄く頑張ったと思いますけど、あの空気で誰がやっても変わらなかったと思いますよ。いい意味で捉えるならザ・エスペランサーは難解なものですよね。
――存在が大きすぎますね。ザ・エスペランサーの登場が早すぎた感は否めないのでは?
それは遅いか早いかだけの問題だと思いますよ。
――ザ・エスペランサー攻略の方法はあるのでしょうか?
今のところは見当たらないでしょうね。攻略の可能性が見えていたオカリナをニューリン様が吹いていましたけど、途中でアン・ジョー司令長官から阻止されていますからね。「あれを吹き続けたらどうなるんだ?」という部分に行き着くと思うんですよ。
――確かにあのオカリナを吹き続けたらHGが勝利していた感じはあります。『ハッスル・マニア2006』ではメイン以外にも色々とありました。グラビアアイドルの海川ひとみさんがプロレスデビューしています。
プロレスでは基本的に固いイメージがありすぎたんで柔軟にするために、そういうことは試みとしてはどんどんやっていって欲しいとは思います。「こうだからこれはダメだ」っていうのが従来のプロレスの形でした。新しいものは排除するというのがプロレスの形で村社会でした。それを取っ払って何でもやってみて実際にダメだったらダメで止めればいいだけの話ですよね。実際にハッスルは色んなことをやって、ファンの食いつきが悪いと思ったらすぐにキャラクターは切り捨てられる。
――今までにもっと活かしてほしかったキャラクターはいましたか?
地方限定のキャラクターですね。私は大阪出身なのでキダタローが大好きなんですよ。ハッスルの面白いところは従来の固定観念を打ち破っている。プロレスというのは色んな抗争があっても玉数が決まっている方なんです。でもハッスルはモンスターが次々に発生してくるわけです。だから新陳代謝が凄く変わって、面白いキャラが行き残っていける。それは今までになかった図式なんです。バリエーションが広がっていく一方です。その速度についていけるのか、ついていけないのかという部分も出てきます。あまりにもキャラの薄い人は脳裏からすぐになくなる。すなわち切り捨てになるんでしょうけど。
――キャラクターがたくさん登場することによって、初心者がストーリー展開をわかりにくかったりはないのでしょうか?
メインのキャラクターである小川選手だったりとトップどころがしっかりしていますよね。その中にお笑い芸人がプロレスのリングに上がって次々にモンスターが現れてダメなものは切り捨てられる。わかりやすい構図ではありますよね。
率直な印象で言わせてもらうと、前年度の『ハッスル・マニア2005』(2005.11.3)が非常に良かっただけに、それと比べると客入りと内容含めてちょっと寂しい気はしましたね。
――どういったところが寂しいと感じられましたか?
客に関しては若干厚みがなかったですよね。あと内容の面では、メインでは締まりが悪かった気はします。「試合で見せる」というコンセプトの部分で、今ままではレスラーがこだわっていたと思うんですよ。芸能人が上がって芸能人ばかり目立つ中で、プロレスラーの力量が問われるステージでした。メインのザ・エスペランサーVS HGに関しては従来のプロレスの攻防が全くなかったので、みんなキョトンとした感じでした。食いつきが悪かったですよね。そのままメインが終わって小川さんが出てきてマイクで締めても、客が付いてこなかったなと。小川さんはその段階で客に支持されているわけでもないですし、なんか寂しい感じでしたよね〜。
――今までのプロレスの試合ではなかったような、舞台装置が壊されたりするような展開もありました。
ロックアップの体勢から入るプロレスの基本の攻防がHGとザ・エスペランサーにはなかったじゃないですか。でもそれがハッスルの壮大な仕掛けであって挑戦なんだろうなと思いますよ。“ファイティング・オペラ”という名前の通り、そのドラマ性とストーリー展開を重視した攻防だったんだなと。いきなりレーザービターンが出たりする流れを受け入れろ、というのはなかなか難しい気はしますね。アメリカのプロレスを見ている人たちに言わせれば、ああいうのはWWEに良く取り込まれている部分はありますから。
――以前アメリカのWWEでは、レスラーが大技を出したときにリングが壊れる仕掛けもありました。
壮大な仕掛けの部分でみれば、ハッスルでは老若男女のファンを取り入れる部分で、わかりやすさを求めようとしますからあれはOKですよ。コアなプロレスファンは?マークが付いたかもしれないですけどね。全く新規のプロレスファンからしてみればあれは面白い部分なのかもしれないですよね。いい意味でのアンチテーゼ(全く新しい段階として現れた状態)になったんじゃないかと思いますよ。
――『ハッスル・マニア2005』を100点とするなら、『ハッスル・マニア2006』は何点になりますか?
僕の中では半分の50点になりますね。前年度は和泉流二十世宗家・和泉元彌さんが出ました。わかりやすさを追求していて面白かったです。馬鹿げていることを徹底している。馬鹿げているから本当に馬鹿げようというスタイルでもあった。わかりやすさを追求したスタイルも兼ねていました。見ていて楽しかったですよ。
――大会当日はプレスルームで見ていたのですか?
マスコミ席というよりも客席からずっと見ていました。プレスルームにいるとどうしてもわからなくなることがあるんです。画面を見ていただけでは客の反応がわからないから、大きな大会だと客席から見ているようにしています。客席を見ていると、手を叩いてガハガハ笑っている人がいましたからね。それを考えると、今回の(ハッスル・)マニアは違った仕掛けをした意味で満足度が低かったなと思います。ただ前年度と同じ仕掛けをするのではなく、次へのステップだと捉えるのであればマイナス点を引いてもいつかは跳ね返ってくるものだと思いますね。
――3年間の集大成というのが『ハッスル・マニア2006』だったわけですが、そうでなかったという意見もありました。
そうですね〜。集大成という意味よりも新たな挑戦への第一歩だったのでは。そこで句読点の句点で止めるのではなく、まだ読点の形じゃないですか。
――ハッピーエンドで終わるのがハッスルですが、小川選手がああいう形で締めたために後味は悪かったですよね。
そういうのもあっていいんじゃないですか? これまで「ハッスル・ハウス」や地方大会も含めていい意味で和気あいあいで楽しく終われるというのがハッスルでしたけど、それが全部そうなることはありえないですから。
――こういう終わり方もありだったと?
ありですよね。ザ・エスペランサーがいたらハッピーエンドで終われるわけがないじゃないですか。難解な人間なのか、よくわからない人種がいるんですから。
――小川選手でなく、高田総統が締めても後味は悪かったと思いますか?
あれは誰がやっても同じじゃないですか? HGも凄く頑張ったと思いますけど、あの空気で誰がやっても変わらなかったと思いますよ。いい意味で捉えるならザ・エスペランサーは難解なものですよね。
――存在が大きすぎますね。ザ・エスペランサーの登場が早すぎた感は否めないのでは?
それは遅いか早いかだけの問題だと思いますよ。
――ザ・エスペランサー攻略の方法はあるのでしょうか?
今のところは見当たらないでしょうね。攻略の可能性が見えていたオカリナをニューリン様が吹いていましたけど、途中でアン・ジョー司令長官から阻止されていますからね。「あれを吹き続けたらどうなるんだ?」という部分に行き着くと思うんですよ。
――確かにあのオカリナを吹き続けたらHGが勝利していた感じはあります。『ハッスル・マニア2006』ではメイン以外にも色々とありました。グラビアアイドルの海川ひとみさんがプロレスデビューしています。
プロレスでは基本的に固いイメージがありすぎたんで柔軟にするために、そういうことは試みとしてはどんどんやっていって欲しいとは思います。「こうだからこれはダメだ」っていうのが従来のプロレスの形でした。新しいものは排除するというのがプロレスの形で村社会でした。それを取っ払って何でもやってみて実際にダメだったらダメで止めればいいだけの話ですよね。実際にハッスルは色んなことをやって、ファンの食いつきが悪いと思ったらすぐにキャラクターは切り捨てられる。
――今までにもっと活かしてほしかったキャラクターはいましたか?
地方限定のキャラクターですね。私は大阪出身なのでキダタローが大好きなんですよ。ハッスルの面白いところは従来の固定観念を打ち破っている。プロレスというのは色んな抗争があっても玉数が決まっている方なんです。でもハッスルはモンスターが次々に発生してくるわけです。だから新陳代謝が凄く変わって、面白いキャラが行き残っていける。それは今までになかった図式なんです。バリエーションが広がっていく一方です。その速度についていけるのか、ついていけないのかという部分も出てきます。あまりにもキャラの薄い人は脳裏からすぐになくなる。すなわち切り捨てになるんでしょうけど。
――キャラクターがたくさん登場することによって、初心者がストーリー展開をわかりにくかったりはないのでしょうか?
メインのキャラクターである小川選手だったりとトップどころがしっかりしていますよね。その中にお笑い芸人がプロレスのリングに上がって次々にモンスターが現れてダメなものは切り捨てられる。わかりやすい構図ではありますよね。